小樽オイズラグビークラブ
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オイズ沿革

小樽オイズクラブ概況
昭和50年、小樽市ラクビーフットボール協会設立50周年記念事業としてラクビースクールが開校される事となった。開校には、小樽ラクビー出身者を柱として14名が参集することとなった。
(志村和雄、藤江正、佐藤守正、川口裕一、鑓利健作、野沢英次、東英機、旭一夫、山村哲司、橋本紀雄、朽木潔、阿部孜、斉藤孝、長谷川俊治)の各氏である。

当時はまだチーム名もなかったが、8名の発起人により「壮年ラクビークラブ」の設立を計り、昭和51年4月12日に20名の参集により発会式を行い、名称を「小樽オイズラクビークラブ」とした。その目的は、会員の健康維持、体力増強、会員相互の親睦、並びに「小樽ラクビースポーツ少年団」の育成発展であり、35才以上を正会員・以下を準会員とし、経験は問わない事とした。
初代役員として(会長:立野明 副会長:吉原孝 監督:関川吉郎主将:佐藤守正)

昭和54年に第1回北海道不惑親善ラクビーフットボール大会(函館)から参加し、毎年各市(函館・札幌・小樽・旭川・帯広・北見)持ち回りで開催し、東京・福岡・神奈川からのチームも参加を得て現在に至っている。昭和56年にからまつ公園グラウンドが芝生になったこともあり、少年団の父母による16名の女性チームが誕生した。名称を「レディスラガー」とし、真赤なジャージを着て、昭和58年7月31日に「遠軽ママさんチーム」との親善試合も行われた。

昭和58年から札幌有惑クラブとの定期戦を6月、9月の年2回行っている。
また、海外への親善訪問も盛んに行い、昭和63年7月のニュージーランドダニーデン市のサシナッククラブを第1回とし、平成4、10、17年の計4回の名門チームとの親善試合を組んで貰い、満足感と充実感を得ることが出来た。

当クラブは、第一線を退いたプレーヤーの集団であり、少年ラクビーを育てながら、勝敗にこだわらずラクビーを楽しむ事を心がけており、決して無理をせず、自分の体調に合わせた練習、或いはグランドに立つことを信条としているクラブであり、今後とも永遠に続くチームである。


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